母をたずねて三百里

母を訪ねて一人旅中。玲糸の日記。

「母に理解されたい」をアキラメタ話


こんばんわ꒰ ´͈ω`͈꒱♪


昨日のブログで

「理解されたい」を手放した話を書きました。


昨日書いた「理解されたい」はブログについてですが、


今回は母親に「理解されたい」という私の想いをアキラメタ話をしようと思います。





私は子どもの頃からしょっちゅう母とケンカしていますが、

24歳になった今もしょっちゅうケンカしています。





旅を始めてからなんで日々バトルです。笑





お互い敬語の長文ラインを送り合うという冷戦。笑





私は「どんなに正直に話したって全然理解してもらえない」と思っていました。





何ヶ月かやりとりを続けた時、私は諦めました。





「もう、無理だ。価値観が違いすぎる。理解し合えるはずがない。どうせわかってもらえない。もう、説明するのやめよう」そう思いました。





「母に理解されたい」を諦めました。






その時、「きっと、母も同じ気持ちだ」ということに気がつきました。






「私の気持ちをわかってもらえない」と私が思っているとしたら、意見が違う母の立場に立てば「私の気持ちをわかってもらえない」と思ったとしても不思議ではないです。







私は今の母と私の現状を明らめました。







私と母は考え方が違う。生き方が違う。


ただ、それだけ。






私と母は違うんです。






私は母に自分の気持ちを正直に伝えている。
母は私に母の気持ちを正直に伝えている。


それだけなのに、

どうしてこんなにお互いが傷ついてしまうのか不思議でした。






その傷ついてしまう原因を発見しました。






「母に理解されたい」という純粋な想いの中に


「母に共感されたい」という想いがくっついた状態で会話していたのです。






これ、似ているようで全然違います。






「共感されたい」という想いを秘めて会話をすると、


私が母に正直に想いを伝えた先のゴールは「共感されること」つまり、「イイね!」と言ってもらえることがゴールになってしまいます。






するど、それ以外の返事が来た時、
私は「全然わかってもらえない。理解してもらえない」という感情になるのです。






なんだか変な話なんです。





もちろん、「共感してもらいたい」という気持ちは本当ですが、




そもそも「共感する」ということは、お互い同じ体験をした時、同じ感情を抱くという意味です。


親子とはいえ全く違う人生を歩んできたのに「共感する」なんてことは難しい話。

同じような経験をしていないと「共感」はできないはずなんです。







私が母に自分の気持ちを一生懸命伝えている純粋な理由は「理解してもらいたい」からです。


もっと簡単に言うと、「知ってほしい」ただそれだけです。





それ以上でも以下でもない。





だとしたら、ゴールは、


母が私の言葉を受け取ったことを確認する



それで終わりです。




そこから先は母の自由。

私を「宇宙人がもっと宇宙人になった」(実際に言われました。笑)と思ってもいいし、

「成長してるどころか退化してる」(実際に言われました。笑)と思ってもいいし

こんな我が子恥ずかしいわ。と思ってもいいし

育て方を間違えたのかしら。と思ってもいいし


そこは私が変えたくても変えられないところです。







「理解する」というのは

「あ〜、れいちゃんってこうゆう考えを持ってるのね。素敵ね✨」ということではなく、



「あ〜、れいちゃんこうゆう考えを持ってるのね」

ここで終わりです



知ること


ただ、それだけ。


「理解」というのは「物事の通りを正しくわかること」


正しく知ってほしいんです

私の考え方を






私の考え方を正しく知ったうえで、

私の考え方を理解したうえで、


私の考え方を真っ向から否定する。それは相手の自由。





私の考え方を正しく伝えられてないのか。

私の考え方をを正しくつたえたうえで反論されているのか。

どちらなのかを感じて話を進めていくことが大切で、




それには、私の中に「共感されたい」という気持ちは一度捨てなければ感じることが出来ないとであって


それはまた別の話。





私は「母に理解される」とはどんなことなのかを明らめました








「共感されない」「イイね!」と言ってもらえないということは、


「私の考えは間違っている」とか
「私は愛されてない」とか
「私は認められてない」とか勝手に自分の都合で変換するからお互い傷つくんです。





「私の考え方を伝えた」

「母は違う考え方を持っていた。私の考え方には共感しなかった」

以上。終わり。



ただ、これだけの事実を自分の都合で解釈して自分で勝手に傷ついているだけ。


もっとシンプルに会話できる。


いろいろごちゃまぜにして会話しない。


母との会話が軽やかになりそうです。(私が勝手に)







感情が高ぶりながら
客観的に感情を分析する私。


とっても変人ですが、これ、なかなか役に立ちますよ。笑



号泣しながら自分分析のクセはいつからついたのか…笑






終わり。



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